柿生駅は、村が呼んだ駅 1927年から、駅前はまだ「途中」

柿生駅の南口(2008年4月撮影)。駅名の看板の左に、「柿と寺のまち 柿生」と書かれた旗が下がっている
写真:Lover of Romance/CC BY-SA 3.0(自由に使える写真です・出典(別のウィンドウで開きます))。サイズを調整しています。

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柿生駅の南口から、バスに乗りかえる。のりばは、駅から少し離れた「暫定広場」で、駅との間に高低差もある。市が2018年にまとめた資料には、そう書かれています。

この駅は、1927年、村じゅうで負担をして呼んだ駅でした。麻生区でいちばん古い駅です。

村の駅は、100年近くで、どう変わったのか。そして、駅前が「途中」なのはなぜか。公開されている資料だけで、ビフォー→アフターを読みます。(私たちは現地には行っていません。見たようには書きません。)

犬柿生駅って、新百合ヶ丘のとなりの、ふつうの駅でしょ?

猫ふつうじゃないの。村が出し合って呼んだ駅なのよ。出し合ったものが何かは、資料に書かれていないけれど。順に話すわね。

1927年、村は何をして駅を呼んだ?

まず、ビフォーです。

1889年(明治22年)、まわりの村がまとまって「柿生村」ができました。村役場は上麻生に置かれました。いまの駅がある場所は、字(地名)で「大ヶ谷戸」。市の委託調査の報告書(日本地名研究所、2018年)は、ここを「柿生村の中心地」と書いています。

1927年(昭和2年)に小田急線が開通したとき、報告書によると、駅を呼ぶために、村の各部落が「応分の負担」をしました。お金か、土地か、人手か。そこまでは書かれていません。

その柿生村は、1939年に川崎市に入って、なくなりました。報告書の言い方では「わずか五十年間」。それでも、報告書は、いまも駅の周りに「柿生」の名のつく施設が多く残っている、と書いています。名前に愛着を持つ人が多いから、とのことです。

「柿生」の名のもとは、禅寺丸柿です。くわしくは 禅寺丸柿の記事 へ。

柿生駅と駅前の年表の図。1889年に柿生村、1927年に柿生駅、1960年に百合ヶ丘駅、1974年に新百合ヶ丘駅など、1982年に麻生区ができた。1984年に市が駅周辺の整備構想をつくり、1988年に再開発の準備組合ができ、2007年にバスの暫定広場、2016年に準備組合のつくり直し、2025年に「まちづくり会」の登録と続く
柿生駅と、駅前の再開発の年表。川崎市のページと、報告書、区役所のあゆみをもとに、私たちで作成

周りの町が変わるあいだ、駅前は?

次は、駅のまわりの変化です。市の2018年のビジョンによると、麻生区は、尾根に囲まれた農村の地域でした。1950年代の後半から、百合ヶ丘の駅と団地が整い、1974年の新百合ヶ丘駅のあとは、その周りが整っていきます。1982年に、麻生区ができました。

区の人口は、1985年の108,353人から、2015年の175,523人へ(ビジョンの人口の図)。30年で、約1.6倍です。

柿生駅の近くも、人は増えました。ビジョンが「駅近隣」とするのは、上麻生5・6丁目と、片平2・3丁目。この4つの町丁の人口は、こう動きました。

柿生駅の近く(上麻生5・6丁目、片平2・3丁目)の人口の棒グラフ。2000年7,828人、2005年8,473人、2010年8,923人、2015年9,985人
柿生駅の近くの人口。川崎市「柿生駅周辺地区まちづくりビジョン」の図をもとに、私たちで作成。2015年より新しい数字は、確かめていません

15年で、約1.3倍。ビジョンは、6歳未満の子がいる世帯の増え方も高く、「子育て世帯に人気がある地区」と書いています。

それなのに、ビジョンは、駅前をこう整理しています。道路などの基盤の整備が進まず、駅前にふさわしい市街地ができてこなかった、と。人は増えた。駅前は、そのまま。ここが、この記事のアフターの、いちばんの見どころです。

1984年から、何があった?

その駅前を整えようと、市と地元は、何度も動いています。市のページと、ビジョンから、並べます。

  • 1984年11月市が「柿生駅周辺地区整備構想」をつくる(約36ヘクタール)
    川崎市「柿生駅周辺地区のまちづくり」
  • 1988年3月駅前の市街地再開発の準備組合ができる
    同上(市の年表では「東口地区」、のちに「南口地区」と名前が変わった、と読めます)
  • 2007年4〜5月バスの暫定広場を使い始める。柿生町田線(駅前の区間)の事業認可を取る
    同上
  • 2016年6〜7月準備組合が解散し、新しい準備組合ができる
    同上
  • 2017年11月・2018年6月周りの住民へ、事業の説明会が2回
    同上
  • 2018年3月27日市が「柿生駅周辺地区まちづくりビジョン」をつくる
    ビジョン
  • 2019年2月環境影響評価の住民説明会が2回(125人と158人が参加)。評価書の公告は2020年2月18日
    川崎市の環境影響評価手続のページ
  • 2025年8月14日「柿生駅南口地区まちづくり会」が市に登録される
    川崎市「柿生駅南口地区まちづくり会」

最初の準備組合のあとのことを、ビジョンは、こう書いています。再開発へ向けた取り組みを進めてきたが、権利をもつ人たちの合意づくりが進まず、事業にならなかった。そして2016年に、準備組合は生まれ変わりました。

なぜ合意が進まなかったのか。その中身は、公開の資料からは読めません。ここは、私たちには書けません。

計画は、どんな建物だった?

2018年12月の評価結果によると、計画は、地上30階・地下1階。延べ床面積は約37,500平方メートル。商業施設、子育て支援施設、都市型住宅などを入れる、という内容でした。着工は2021年4月、竣工は2024年10月の予定、とあります。

その予定の年は、もう過ぎています。いまの予定を示す公式の資料は、探しましたが、見つけられませんでした。

わかるのは、2025年8月に、駅の南口側の地区で「まちづくり会」が登録され、活動の目的に「柿生駅前再開発事業と併せて」商業施設の充実などを図る、と書かれていることです。計画は、少なくとも2025年の市の資料では、まだ生きています。

「遅れている」とは、決めつけません。事情は、公式の資料から読めないからです。確かなのは、区でいちばん古い駅の駅前が、1984年から40年あまり、「これから」の欄にのっている、ということです。

「途中」の駅前は、いま、どんな姿?

ビジョン(2018年)は、駅前の課題を、4つ書いています。要点を、そのまま並べます。

  • 南口には古くからの商店街があるが、生活に必要な店が少なく、にぎわいが下がっている
  • 南口の駅前広場は、送迎の車が長く停まり、タクシーの通行のじゃまになる時間がある。バスは離れた暫定広場で、駅との高低差もあり、乗りかえしにくい
  • 駅のそばに踏切が2つあり、朝夕は遮断時間が長い。通学路でもある
  • 南口には、1981年(昭和56年)より前の木造の建物が多く、災害のとき、逃げる道や集まる場所をつくりにくい
柿生駅南口のバスターミナル。広い舗装の広場に、赤い帯の市バスが1台とまっている
柿生駅南口のバスターミナル(2010年4月撮影。撮影者:Cassiopeia sweet/パブリックドメイン。ウィキメディア・コモンズ)。2007年に使い始めた暫定のバス広場かどうかは、写真からは確かめられません。いまの様子とはちがうかもしれません

おもしろいのは、同じビジョンに、こうも書かれていることです。秋の禅寺丸柿まつりなどで、駅前広場は、非常に多くの人でにぎわう。一方で、イベントを開けるスペースや、人がくつろげるスペースが足りない。人が集まるほど、広場のせまさが見える駅前です。

北口についても、ビジョンは、平面の駐車場などの空き地が多いこと、駅に背を向けて建つ店があることを挙げています。南北の線路をまたいで、一体のにぎわいが形成されていないとも書いています。

柿生駅の北口の入口。青い駅名の看板と、屋根のついた通路が見える
柿生駅の北口(2017年6月撮影。撮影者:Nyao148/CC BY-SA 3.0。ウィキメディア・コモンズ)。撮影の時期は、いまの様子とはちがうかもしれません

それでも、使われている駅

最後に、いまの数字を見ます。小田急電鉄が公表している、2025年度の1日の乗り降りの人数です。

  • 新百合ヶ丘 117,280人1974年に開業
  • 柿生 34,593人1927年に開業。7駅の2位。小田急70駅の中では31位
  • 栗平 23,235人1974年に開業
  • 百合ヶ丘 21,003人1960年に開業
  • 五月台 10,025人
  • はるひ野 9,898人
  • 黒川 9,161人

開業がいちばん古い駅が、使われ方で、区の2番目。2番目に古い百合ヶ丘は4位です。古さと乗り降りの多さは、結びついていません。

ビジョンの予測では、駅近隣の15歳未満の人口は、2015年の1,151人から、2030年の1,581人へ増える見込みでした。区全体は、23,718人から21,884人へ減る見込みです。これは2018年の予測です。実際にその通りになったかは、確かめられていません。

柿生駅のホーム。屋根の下に、小田原・箱根湯本方面ののりばを示す表示が出ている
柿生駅のホーム(2013年7月撮影。撮影者:LERK/CC BY-SA 4.0。ウィキメディア・コモンズ)。撮影の時期は、いまの様子とはちがうかもしれません
ここがいいよね

1927年に村が呼んだ駅の近くで、いま、子どもの数が増える予測が出ていること。区全体は減る見込みのなかで、柿生駅の近くは増える、と市の2018年の資料は書いています。(予測で、実際の数字は確かめられていません。)

3問クイズ あなたは解けた?

Q1 柿生駅を呼ぶために、村の各部落がしたことは?

「応分の負担」です(日本地名研究所の報告書)。何を負担したかは、書かれていません。

Q2 駅前の再開発の準備組合が最初にできたのは、何年?

1988年です(川崎市)。1984年の構想から、4年後でした。

Q3 計画の着工予定(2018年の評価結果)は、いつだった?

2021年4月の予定でした。竣工は2024年10月の予定。いまの予定は、公式の資料では確認できませんでした。

次の一歩

駅の南口に立つことがあったら、バスの暫定広場と、駅の間の高低差を、見てみてください。市の資料が書いた「途中」が、自分の目で確かめられます。駅前の最新の動きは、市の「柿生駅周辺地区のまちづくり」のページと、まちづくり会のページに出ます。

この駅のとなりや、周りの話は、こちらへ。

出典

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